| 場所後、安芸ノ海と共に横綱昇進決定。秋田県人初の横綱。しかも23歳4ヶ月の記録破りの若い横綱誕生は話題をさらった。 現在は年6場所だが、当時は年2場所である。 照國の強さの秘密はどこにあったのか。腰の強さが指摘されている。 奇跡の腰といわれた照國は、はたいても落ちない力士であった。幡瀬川仕込みの平グモ仕切りとは、手を折り曲げて低い仕切りから立ち上がり、腰を低くして、相手を下から責める方法。 踏み込んで低い姿勢から前みつを取り、体を引きつけて寄る。相手は照國の頭が低いのを見て思わずはたくと、すかさずつけこんでさっと寄る。 とても低い仕切りで、頭が土俵に着くほどだったと言うが、手は決して着かなかった。強い膝と腰は正に日本一だった。 照國がどれほど強かったかは、対双葉山戦が物語る。天才・双葉山も照國には勝てなかった。 5戦中、照國が3勝2敗で勝っているのである。個人的に双葉山が負けたのは、照國だけである。 入幕以来負け越ししない力士でもあった。大関のころの勝率は81%、双葉山はこれより悪かった。 昭和25年10月、念願の初優勝。横綱十七場所目の涙の賜杯であった。青年横綱と言われた照國も、31歳になっていた。 優勝までの道のりは長かった。翌年26年1月、東正横綱に位置した照國は、前場所の勢いで、全勝街道をひた走った。 見事な全勝で連続優勝。この優勝は、中断していた優勝額復活第一号となった。 その後、六場所つとめて世に照國戦法と呼ばれる「右足を半歩出して頭を下げ、相手の出方をうかがって、差し手を狙っていく取り組み」を編み出したが、重なる疾患には勝てず33歳で引退した。 荒磯を襲名。やがて伊勢が浜部屋を継承し、清国、開隆山、浅瀬川、清ノ森、白龍山ら多くの力士を育てた。 照國の死は心筋梗塞によるもので、享年58歳の早過ぎる死であった。 |
|---|